1960年8月、倉田悟と里見信夫が徳島県の太龍寺山を散策していた折、里見は倉田に対して当地でヒトツバノキシノブを採った旨話したらしい。倉田は「びっくりした」と回想している (倉田, 1969) が、里見 (1960) の書きっぷりからするに胡散臭いものというような扱いをされたのかもしれない。未整理標本をかき回した末、里見自身10年ぶりに再発見したその標本が、本邦におけるヒトツバノキシノブの唯一の記録である。1946年10月6日、台風一過後の倒木に着生していたものをムギランやマメヅタランと一緒にはぎ取ったと思う、と曖昧で、太龍寺山のどのあたりなのかに関してもはっきりしないという。しかしながらタイトルは「四国にヒトツバノキシノブがある」という力強いものであって、たとえば中国採集のコレクションが紛れたような可能性を思わせない。倉田の検討を経ているため、標本自体は真正にヒトツバノキシノブであって、何らかの別物を誤認しているということもない。一方で『徳島県植物誌』において阿部近一は「若干疑問がないではない」と言及するなど、依然その存否に関して疑いのまなざしが向けられている感は拭えない。
そもそも採取が1946年と非常に古く、1960年の報告以後も見つかっていないということを踏まえると、仮に当時実際に生育していたとしても、2024年に現存している可能性は絶望的であろう。太龍寺山自体もほとんどがスギ・ヒノキの植林地となっており、戦後の拡大造林の憂き目にあった可能性がある。あえてポジティブな要素を挙げるとすれば、太龍寺山においてムギランもマメヅタランも記録があるということは押さえておきたい。里見の回想に対して補足的に説得力を与えるものである。また、里見はタヌキノショクダイに関しても言及しているが、文責不明の資料によるとその発生地は太龍寺山の滝の岩屋と呼ばれる場所であったという。徳島県博のウェブサイトではその自生地は石灰岩の採掘によって消滅したと記されており、この2つの情報を照らし合わせるとタヌキノショクダイ自生地はヒロックス社の太龍鉱山のある、加茂谷川の一段上であったと推察される。これはちょうど徳島市街から太龍寺山にアプローチするロケーションとなり、里見のような県外の人間が太龍寺山を訪れる上では、西側の和食方面ではなく、東側から探索したのではないかと想像する。また、環境省植生調査のQ-GISを参照するに、自然林としてのアカガシ林が現在でも残されているのは阿波遍路道 (かも道) から山頂部にかけての極狭い範囲のみであって、あえて探索するのであれば加茂谷川から登山道を逸れた自然林帯および露岩のある谷筋源頭部が有望か。地質としては25000分の1シームレス地質図を参照するに、当該自然林帯は石灰岩質とチャート質であることがわかる。ムギランやマメヅタランは石灰岩地に好発であるが、チャート上にも出現するため、地質から探索範囲をさらに絞ることは現実的では無い。西側和食方面には石灰岩質のシデ林が自然林区分で存在するため、東側の探索を十分に行った後、次点で谷筋を探索すべきであろう。
なお、2023年10月7日に一般登山家がYAMAPに投稿した写真を見るに、太龍寺境内のスギの股に何らかの着生植物が着いていることが確認できた。分枝があるように見え、セッコクではないかと考えるが、当該林内に現在でも着生植物が生育する程度の湿気が残されていることを示すものと言えよう。
(参考)
・北陸の植物 4巻1号 「四国にヒトツバノキシノブがある」 里見信夫 (1960)
・北陸の植物 17巻1号 「シダ類ノート (四十六) 」 倉田悟 (1969)
・『徳島県植物誌』 阿部近一 (1990)
・徳島県博資料 「タヌキノショクダイ」 (*2024年1月10日閲覧)
https://museum.bunmori.tokushima.jp/ogawa/note/tanukinoshokudai/index.html
・一般登山家による登山記録 (*2024年1月10日閲覧)
https://yamap.com/activities/27237542/article#image-373299230
ヒトツバノキシノブの謎
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