オオハナワラビ (1)

 Index to Ferns and Lycophytes of Japanにリストされている (Botrychium daucifolium Wall. ex Hook. et Grev. var. japonicum Prantl , Jahrb. Königl.) たるオオハナワラビのタイプロカリティは長崎である。”Jahrbuch des Königlichen Botanischen Gartens und des Botanischen Museums zu Berlin” 3: 340, 1884.の記述に依ると採取者はプロイセンの植物学者Max Ernst Wichuraであり、彼の1368番の標本がタイプ標本にあたるらしい。本記載論文はベルリン=ダーレム植物園の紀要であるから、戦争で消失していない限りは彼の地に保管されているものと思われる。文中においてそれまでハーバリウムではB. ternatum と同一視されていた旨記載されており、形態的特徴として共通柄が葉柄の中央より下部で分岐する点等をB. ternatum と類似の特徴として挙げている。現行の分類では一般にフユノハナワラビとオオハナワラビでは胞子外縁の突起の有無が一つの同定基準となっているが、記載論文においては
“die Consistenz, Theilung, Zahnung der Spreite, sowie das Exospor sind der typischen Form völlig gleich; nur sind die Segmente nie so lang zugespitzt, wie sie bei jener vorkommen können.”
と表現しており、構文上の不得手とSegmentの意味するところに大いに不安を抱えつつ、仮に「後者は尖らない」旨が「フユノハナワラビの胞子の外縁は尖らない」という風にかかるのであれば、現行の同定基準は記載論文においても言及されていることになる。
 記載論文中の”Nagasaki“の前の”Japan : Tanaka PL. Jap. .”について、特に”Tanaka PL. Jap. .”ははっきりしない箇所である。当該記載論文の出版年である1884年以前の植物学者で田中といえばおそらくは田中芳男である。しかしながら”PL. Jap. .”は「Flora of Japan : 日本植物誌5巻」とでも言うべき略称であるものの、田中はそのような書籍を残していない。1884年以前に田中により刊行された書籍の中で「Flora of Japan」たりうるものとして『草木図説目録』 小野職愨共編 博物館 (1875) か『日本 有用植物見本』 小野職愨共編 博物館 (1876) のいずれかが該当すると思われる。このうち5巻以上の組として刊行されているものは後者のみであるから、”Tanaka PL. Jap. .”は『日本 有用植物見本』と推察される。残念ながら1876年版は確認できていないものの、東京大学の農学生命科学図書館デジタルアーカイブが公開してくれている1891年版の『有用植物圖説 圖畫卷1』中のNo.91の図に「Hanawarabi B. ternatum FILICES. 蕨 ワラビ」の収載が確認できた。図は明らかにコバノイシカグマ科のワラビであり、ハナヤスリ科のそれは図示されていない。『有用植物圖説 解説卷1』中の同No.91の解説文ではワラビに対して付属的に「ハナワラビ フユワラビ 陰地蕨」が説明されている。田中がこれをフユノハナワラビとしていたかオオハナワラビとしていたかは特定することは出来ず、B. ternatum として図中に付記されている以上、これをオオハナワラビの記載論文中に引用した理由を特に見出すことは出来ない。1876年版に「ハナワラビ フユワラビ 陰地蕨」の図解がなされている可能性は否定できないため、1876年版の確認も望まれる。
 さて、1884年以前で、さらに1876年以前と仮定した場合、Wichuraが長崎を訪れたのはいつであろうか。長崎大学学術研究成果リポジトリ中で見つけたSebastian Dobson氏の”The Prussian Expedition to Japan and its Photographic Activity in Nagasaki in 1861″ という資料によれば、Wichura含むオイレンブルクらプロイセン使節の来日は1961年のことであったことが分かる。また氏の資料から、Wichuraは松本良順による手厚い歓待を受けたことが窺える。1861年時点で松本良順は長崎にて小島養生所を開設しており、Wichuraもその周辺で滞在、探索していたものと考えると、オオハナワラビのタイプロカリティは小島養生所があった現在の万才町周辺の山系と推察される。これはちょうど出島にあたる場所であるから、妥当な推察であると考える。万才町周辺で緑地が残されている部分は風頭公園、興福寺、諏訪神社等ごく限られた部分であり、現在この地域でオオハナワラビを見出すためにはその背後の英彦山等にまで足を伸ばす必要があるかもしれない。もちろん、Wichuraが英彦山周辺まで散策に出かけた可能性も否定できない。
 オオハナワラビ亜属複合体は現在綿野研究室の石井壮佑氏らが取り組んでおられ、長崎の”オオハナワラビ”もサンプルとして採集されている。研究の成果を待ちたい。
 

(参考)
・Index to Ferns and Lycophytes of Japan
http://jpfern.la.coocan.jp/names/50.html
・”Jahrbuch des Königlichen Botanischen Gartens und des Botanischen Museums zu Berlin” 3: 340, 1884.
・田中芳男 Wikipedia 著作の項 (2024年1月4日閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%8A%B3%E7%94%B7
・『日本 有用植物見本』 農学生命科学図書館デジタルアーカイブ 
https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/agriculture/item?search=%E6%9C%89%E7%94%A8%E6%A4%8D%E7%89%A9%E5%9C%96%E8%AA%AC
・”The Prussian Expedition to Japan and its Photographic Activity in Nagasaki in 1861″ Sebastian Dobson

コメント